9:8 わたしがこう言うのは、人間の思いからでしょうか。律法も言っているではないですか。

 9:9 モーセの律法に、「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」と書いてあります。神が心にかけておられるのは、牛のことですか。

 9:10 それとも、わたしたちのために言っておられるのでしょうか。もちろん、わたしたちのためにそう書かれているのです。耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分け前にあずかることを期待して働くのは当然です。

 

「パウロは、報酬のために伝道していたのではないか」とパウロを非難する人もいたようですが、そのような人に対して、パウロは神の律法においても自分たちにも教会から生活の資を得る権利があると述べています。申命記第25章4節には「脱穀している牛に口籠を掛けてはならない。」と言われています。これは文字通りには、脱穀している牛に口籠をはめて、牛が食べることを妨げてはいけないという意味です。

 

しかし、ここでパウロが言っていることは、ここで神は牛ではなく、私たちのことを心にかけて、「耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分け前にあずかることを期待して働くのは当然です。」と述べています。伝道をする者がその働きのために報酬を得るのは当然のことですが、パウロは、そのような正当な権利をも用いようとしないで働いてきたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、働く者が報酬を得るのは当然のことですが、パウロは「パウロは、報酬のために伝道していたのではないか」と言って非難する人たちがいる事を考慮してテントづくりの働きによって生計を立てるようにしていました。いずれにしてもあなたのために働くことによって、一人でも多くの人々が主に立ち帰ることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。