39:21 しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、
39:22 監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。
39:23 監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよかった。主がヨセフと共におられ、ヨセフがすることを主がうまく計らわれたからである。
主が共におられるとは、なんと素晴らしいことでしょうか。監獄に入れられたヨセフでしたが、主が彼とともにおられたので、「監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。」と言われています。
ヨセフはボティパルの信頼を得て会計までも管理するようになりましたが、監獄に入れられた後も看守長からの信頼をいただいて獄中のことはすべてヨセフが取り仕切るようになった。これは決して通常では起こり得ないことです。
いかに看守長が信頼を寄せたとしても、囚人のひとりに獄中のことを任せるなどありえないことです。しかし人にはできないことでも、神にはできるのです。これまでの歴史において、神は様々な人間を通してその御業を行ってこられました。救いの御業が実現されてきたのも、福音が伝えられ、それを信じっ救いに与る人々が起こされているのも、主が共におられたからに他なりません。
祈り
天の父なる神様、罪を犯して死を免れることが出来なくなった私たちを救うために、この歴史の中に救いの御業を今も実現してくださる恵みを感謝いたします。罪の社会にあって、あなたがともにおられることに私たちのまことの希望があることを知ることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。