25:5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
25:6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
25:7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。
25:8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
25:9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
ランプに火がともっていることは、花婿を迎える花嫁の友人であることを示す欠かすことのできない徴でした。当時は電気はありませんし、街灯もありませんから、ともし火を持たずに夜の道を歩くことはできないわけです。
愚かなおとめたちも、婚宴に出席したいわけですから、ともし火が消えそうになっているというのは大問題でした。それで、愚かなおとめたちは、賢いおとめたちにこう言いました。「油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです」。
それに対して賢いおとめたちはこう答えました。「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい」。真夜中に店が開いているのかなぁと疑問に思いますが、愚かなおとめたちが買いに行っているのを見ると、開いている店があったようです。
愚かなおとめたちが油を買いに行っている間に、花婿は到着し、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められました。このたとえ話では、「花嫁」が出てこないのですが、ここでは、用意のできている五人のおとめたちがまるで花嫁のように描かれています。
この婚宴がどこで開かれたのかは記されておりませんが、通常、婚宴は花婿の家で行われました。花婿は花嫁の家に花嫁を迎えに行き、自分の家で婚宴を祝ったのです。
祈り
天の父なる神様、花婿を迎える10人の乙女たちのたとえによって、やがて再臨が来ることに備えて生きることを教えていただき、ありがとうございます。あなたとつながって生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。