27:45 さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
27:46 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

「昼の十二時から全地は暗くなり、三時に及んだ」と言われています。このことは、十字架につけられたイエス様のうえに、世の終わりの裁き、主の日の裁きが臨んでいたことを示しています(アモス8:9「その日になると/私は真昼に太陽を沈ませ/白昼に地を闇とする」)。

マラキ書には、「主なる神が歴史に介入して、正しい裁きをしてくださる日が来る」と預言されています(マラキ3:19〜24)。その神様の正しい裁きが、十字架に磔にされたイエス様の上に臨んだのです。イエス様は、ご自分の民の罪を背負って、主の日の裁きをお受けになりました。

その苦しみの中で、イエス様は、大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれました。これは、罪のない方が、私たち罪びとの一人として神の裁きをお受けになった事を表わす言葉です。

イエス様は、私たちの罪を担って、神に見捨てられるという絶望を味わってくださいました。それゆえ、私たちは、どのような苦しみの中にあっても、神から見捨てられるという絶望を味わうことはないのです。

イエス・キリストは、私たちの罪を背負って、十字架の死を死ぬことにより、ご自分の民である私たちを罪から救ってくださったのです(マタイによる福音書1:21「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」という救い主としての働きを成就してくださいました)。これほどまでにして、私たちを罪から救って下さるお方はイエス・キリスト以外にはありません。

祈り

天の父なる神様、私たちはこの罪をどうすることも出来ない者ですが、十字架において私たちの罪の裁きを受けて下さり、罪の責任をとってくださり、神との平和をもたらしてくださる恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。