23:22 ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」
23:23 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。
23:24 そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。
23:25 そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」と言われているように、ピラトは、罪を見出すことが出来ないイエス様について、あくまでも無罪の人を十字架につけるということは、良心の呵責を感じる者でもあったと思われます。
あまりに激しい訴えが続いているために、彼らの気持ちをなだめるために鞭で打って釈放したらどうだと3度も呼びかけました。
祭りのために、イエスを赦免しようとしましたが、人々はバラバの方を赦免するように要求し、ここでも「十字架につけろ」と激しく叫ぶようになり、このまま民衆の声に従わなければ暴動になると感じたのでしょう。「バラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。」のでした。
祈り
天の父なる神様、ピラトは、イエス様のうちには何の罪もないということを認めながらも、暴動を恐れて、彼らの好きなようにさせてイエス様を十字架につけました。「十字架につけられてしまった」という印象を与えますが、実際にはイエス様は、このような苦しみを受ける必然性は何もなかったのに、かれらのなすがままにさせて自ら十字架に向けて歩まれました。あなたの愛と憐みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。