7:25 未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。

 7:26 今危機が迫っている状態にあるので、こうするのがよいとわたしは考えます。つまり、人は現状にとどまっているのがよいのです。

 

「未婚の人たち」と訳されている言葉は、新改訳聖書では「処女」、口語訳聖書では「おとめ」と訳されています。このことからも「未婚の人たち」とは「一度も結婚したことのない若い人たち」のことであることが分かります。

 

また、ここでパウロは、「わたしは主の指示を受けてはいませんが」と述べているように、ここで未婚の人たちのことについて述べているのは、神様からの指示や命令ではなく、あくまでもパウロ個人の意見として述べているということです。

 

ここでは、「今危機が迫っている状態にあるので、人は現状にとどまっているのがよい」と言われています。「危機が迫っている状態」とは、イエス・キリストの再臨に先立つ苦難の時を迎えている時ということです。主イエスは、終わりの時には、地震、迫害、疫病、偽キリストの出現などがあると言われました。

 

マタイによる福音書24章には次のように言われています。「そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(マタイによる福音書24章9~14節)

 

パウロのみならず、初代教会の信徒たちは、キリストの再臨がまじかにあること、そのために激しい苦難があることを自覚していたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、新約聖書が書かれたころの初代教会のクリスチャンたちは激しい苦難を経験しました。そして主の再臨がまじかにあることを自覚していました。今の時代はその時よりも再臨の時がまじかに迫っている時代ということも出来ます。聖徒たちのように、あなたの前に誠実に確かな信仰と希望と愛をもって歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。