8:7 しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。

 

これは、「偶像に備えられた肉を食べてもよいのか」というコリントの教会にある人からの質問にパウロが答えているところです。当時は、コリントの町にも異教の神殿がありましたが、その神殿は古代のレストランのような働きも兼ねていました。

 

今日では、結婚式や葬式などが行われる時、催事場で食事をいただくことが一般的になってきておりますが、そのような時に神殿で食事をいただくことが社会の慣習になっていましたので、その際に偶像にささげられた肉がふるまわれることも考えられたのです。

 

この質問に対して、パウロは、「偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。」と答えています。世の中に偶像などというものはありませんから、偶像の神の祟りを受けるようなこともありません。重要なことは私とまことの神との関係なのです。この関係を確かなものとしていくことこそが大切なことです。

 

祈り

 

天の父なる神様、この世界は偶像の神々がはびこっています。お金をためたり地位を守ることが偶像になることもありますし、あなたを無視して自分が神のようにふるまってしまうこともあります。そのような罪から離れて、神と共に生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。