50:7 ヨセフは父を葬りに上って行った。ヨセフと共に上って行ったのは、ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべて、
50:8 それにヨセフの家族全員と彼の兄弟たち、および父の一族であった。ただ幼児と、羊と牛の群れはゴシェンの地域に残した。
50:9 また戦車も騎兵も共に上って行ったので、それはまことに盛大な行列となった。
50:10 一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着き、そこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた。
50:11 その土地に住んでいるカナン人たちは、ゴレン・アタドで行われた追悼の儀式を見て、「あれは、エジプト流の盛大な追悼の儀式だ」と言った。それゆえ、その場所の名は、アベル・ミツライム(エジプト流の追悼の儀式)と呼ばれるようになった。それは、ヨルダン川の東側にある。
ヤコブの葬儀は非常に壮大なものとなりました。「ヨセフと共に上って行ったのは、ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべて、それにヨセフの家族全員と彼の兄弟たち、および父の一族であった。ただ幼児と、羊と牛の群れはゴシェンの地域に残した。また戦車も騎兵も共に上って行ったので、それはまことに盛大な行列となった。」と言われています。
私たちは、壮大な葬式が行われることで故人も喜ぶと感じるかもしれませんが、アブラハムも、イサクもヤコブも決して壮大な葬式を願っていたわけではないと思います。それよりも天の都を待ち望みつつこの世の生涯を歩んだ人たちでした。
いずれにしても、お墓に葬られる私たちの体はやがてチリに帰るものであり、消えていくものです。ダビデは、「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。」(詩編27:4)と語りましたが、大切なことは、私たちの本体である魂が天の都である主の家に宿るようになることです。
祈り
天の父なる神様、ヤコブの葬儀は壮大なものでしたが、これもまたあなたがヨセフを通して用意してくださったものでした。しかし、彼らはさらにまさった故郷である天の都に生きることを求めていました。私たちもそのようにあなたが用意して下さっている天の故郷に生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。