6:1 ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。

6:2 ファリサイ派のある人々が、「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言った。

6:3 イエスはお答えになった。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。

6:4 神の家に入り、ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ、供の者たちにも与えたではないか。」

6:5 そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」

 

ユダヤの社会では、神によって貧しい人たちのために作物をすべて収穫してしまうのではなくて一部を刈り取らずに残しておくことが定められていました。

 

そのために旧約聖書のルツ記にも貧しいルツとナオミが落穂を拾って生活の足しにしていったことが記されていますし、ミレーも落穂ひろいを主題にした有名な絵画を書いています。

 

ですから、この聖句にあるように弟子たちが麦の穂を摘んで食べることは許されていました・けれども、律法学者たちの教えによれば、これは安息日にはしてはならないことだと決められていたのです。

 

安息日に麦の穂を摘んではならないというのは、神が決められたことではなく、ファリサイ人や律法学者たちが決めたものですが、これを見ていたファリサイ人は、この行為を非難したのです。

 

主イエスはこの時、「人の子は安息日の主である。」と言われましたが、人の子とはイエス・キリストのことであり、安息日の掟をお与えになったのもこの方ご自身でした。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたがお与えになった掟を守るために、ファリサイ人や律法学者たちは、自分たちで考えた掟をたくさん付け加えて、そのためにかえってあなたの御心から離れたものにしてしまい、彼らは結局は人間の言い伝えを守るように教えていたに過ぎませんでした。律法をお与えになったお方が来られてもそれに聞き従おうとはしませんでした。へりくだって、あなたの御声に聴き従うものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。