また、彼らの家に集まる教会の人々にもよろしく伝えてください。わたしの愛するエパイネトによろしく。彼はアジア州でキリストに献げられた初穂です。あなたがたのために非常に苦労したマリアによろしく。わたしの同胞で、一緒に捕らわれの身となったことのある、アンドロニコとユニアスによろしく。・・・あなたがたも、聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストのすべての教会があなたがたによろしくと言っています。ローマ16:5~16

またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。・・・あなたがたは聖なる口づけをもって互いのあいさつをかわしなさい。キリストの教会はみな、あなたがたによろしくと言っています。(新改訳)

 

「家の教会によろしく」とありますが、まだ福音が伝えられるようになってそれほど時が立っていないことや、厳しい迫害がありましたので、表立って福音を伝えることが難しかったこともあり、当時は家の教会がたくさん存在していました。今の中国も、公認されている教会では、礼拝の際に兵隊が見張っており、政府による規制があるために、多くは家の教会です。今日でも様々な形で教会に対する迫害が行なわれているようです。

 

しかし、迫害の中にあってもクリスチャンや教会の数は増え広がっていきました。ここには、「私といっしょに投獄された」という言葉も記されていますが、これは悪いことをしたから投獄されたのではなく、主イエスの福音を伝えたために、あるいは聖書を持っていたために、クリスチャンでありその信仰を言い表したために投獄されているということがよくありました。殉教の死を遂げた人もたくさんいたのです。

 

このメルマガを読んでくださっている多くの方々は日本に住んでおり、日本でその働きをするように導かれたと言ってよいのではないでしょうか。ここに生まれ育って、ここで御国のために働くように召されているのです。この日本で福音の前進のために働くように導かれた私たちは、お互いに祈りながら、お互いに挨拶を交わしながら、お互いに助け合いながらこの日本の救いのために働き、熱心に福音を宣べ伝えるように召されているのだと思います。

 

私たちは、どうしたら「福音を伝えたい」という心を持つようになるのでしょうか。「福音を伝えましょう」「伝道しましょう」と言われてそういう思いになるわけではないでしょう。その福音を伝える心はどこから来るのかというと、もちろん、それは神によって与えられるものですが、「神が私を救ってくださった」という感謝から生まれてくるものではないでしょうか。

 

自分が、主イエス・キリストの御恵みのみによって救われたことを覚え、神が自分の罪を赦してくださったことを感謝する心をもって神に礼拝をささげるなら、福音を他の人にも伝えたい思いが出て来ないはずはないのです。恵みの神に、自分が出来ることは何だろうか、何か自分にできることをしたいという思いが与えられていくのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、自分では自分の罪の責任をとることも出来ず、あなたの前に犯してきた罪をどうすることも出来ない私のために、あなたのひとり子をもお与えくださり、ありがとうございます。この国であなたの栄光を表す働きが出来ますように、お守りお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。