9:23 かなりの日数がたって、ユダヤ人はサウロを殺そうとたくらんだが、

 9:24 この陰謀はサウロの知るところとなった。しかし、ユダヤ人は彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた。

 9:25 そこで、サウロの弟子たちは、夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろした。

 

サウロがユダヤ人たちの町々の諸会堂でイエス・キリストの福音を宣べ伝えるようになってかなりの日数がたったころ、ユダヤ人たちは、サウロのメッセージがイエスが旧約聖書に約束されていたメシアであるというものであり、そのメシアをユダヤ人たちが殺害してしまったということを聞いて、サウロを殺害しようと考えました。

 

サウロはユダヤ人たちが「彼を殺そうと、昼も夜も町の門で見張っていた」ことに気づきましたので、サウロによってイエス・キリストを信じていた人たちは、彼を城壁づたいにつり下ろして彼を町の外に出すことに成功しました。

 

サウロはこの後も、ユダヤ人たちから命を狙われて幾度も死にそうな経験をしていくことになります。

 

2コリント11章には次のように記されています。「キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。 鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。

 

しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。

」(2コリント11:23~26)

 

これはパウロの場合ですが、他の使徒たちや初代教会のクリスチャンたちも同じような経験をしていきました。神に従うものはこのような経験をするという現実は、いつの時代にも見られるものです。

 

次のみ言葉を読むとき、彼らが復活の信仰に生きていたことが分かります。

第1コリント15章13節以下のみ言葉です。

 

15:13 死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。

 15:14 そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。

 15:15 更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。

 15:16 死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。

 15:17 そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。

 15:18 そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。

 15:19 この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。

 15:20 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

 15:21 死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちに復活の信仰、復活の希望を与えてくださる恵みを感謝いたします。闇の世にあって世の光として生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。