いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ人の手紙4章4節
喜ぶようにと命じられているところです。この時代のクリスチャンたちは、数々の試練を経験させられていました。バプテスマのヨハネも、イエス・キリストも、その弟子たちも、初めはユダヤの宗教指導者や王たちから、のちには、ローマ帝国の権力者たちから、イエス・キリストを信じている、聖書を持っている、礼拝をしているというだけで言われなき迫害を受けてきたのです。
持っている聖書を没収されたり、職を奪われたり、投獄されたり、命を奪われることもありましたが、そうした中でパウロは、獄中から、「いつも主にあって喜びなさい」と勧めているのです。
望みえないときに望み、喜びえないときに喜ぶ、これはパウロや使徒たち自身が体験していることでもありました。使徒の働きには、主イエスの弟子たちが投獄され、鞭で打たれた時のことが次のように記されています。
「使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」(使徒5:40~42)同じく使徒の働きには、「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」(使徒13:52)と言われています。
困難の中にあっても、神ご自身が内なる喜びを与えてくださるのです。
祈り
天の父なる神様、喜びを与えてくださるあなたの御力と御恵みを感謝いたします。表面的な、あるいは一時的なものではなく、内からあふれ流れてくる汲めども尽きない泉のように、私たちの心を喜びで満たしてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。