11:23 また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。
11:24 しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」
カファルナウムには、ペトロやアンデレの家があり、イエス様がガリラヤ宣教の拠点とされた町でもありました。イエス様の福音宣教はここから始まったのです。しかし、カファルナウムに住む人々も、イエス様の数多くの力ある業を目の当たりにしながら、悔い改めませんでした。
イエス様において、神の国がもたらされ、神の救いの御計画がここにおいて実現されているにもかかわらず、人々は神によってもたらされた福音を受け入れないのです。そのような町の人々に対して、イエス様は、「カファルナウム、お前は、天にまで上げられると思っているのか。陰府にまで落とされるのだ」と言われました。
さらにイエス様は、「お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。」と言われました。ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していたゆえに、天から降ってきた硫黄の火によって滅ぼされてしまいました(創世13:13、19:24、25参照)。現在ソドムは、死海の底に沈んでいると言われています。
ソドムに住んでいた人々は神に背き続ける人々でしたが、カファルナウムで行われたような奇跡がソドムで行われていたならば、多くの人々が罪を悔い改めて、ソドムの町は滅ぼされることはなかっただろうと言われるのです。
祈り
天の父なる神様、聖書の歴史は、神による救いの御業が実現されていくとともに、人間の罪の歴史であるということが出来ます。今日のみ言葉には人間の罪の深さが示されています。罪ある私たちですが、真実に悔い改めて神と共に生きる者とならせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。