12:16 それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。

12:17 金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、

12:18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、

12:19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』

12:20 しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。

12:21 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

 

貪欲に注意せよと言われた後で、イエス様はあるお金持ちのたとえをお語りになりました。このお金持ちは、畑が豊作になり、蔵を立て、「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と自分に言い聞かせるのです。

 

こうしたことはよくあることでしょう。しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われました。

 

このお金持ちは、自分自身が神によって生かされていること、自分の現在も将来も、自分の命もすべてが神の御手のうちに置かれていることを忘れて、いうなれば自分さえよければという思いをもってその財を蓄えようとしていたのでした。

 

祈り

 

天の父なる神様、人間の欲望には限りがありません。私たちもそのような誘惑に遭うことがあります。そのような時にも分別をわきまえ、あなたが願われるような考えと決断をすることが出来ますようにお守りください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。