3:20 こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。

「こうして」とありますが、これは前の節との繋がりから言えば、「悔い改めて罪を赦していただく」ということです。罪から神へと立ち帰り、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を消し去っていただく、そのようにして、主のもとから慰めの時が訪れると言うのです。

「慰めの時」と訳されている言葉は、「安息の期間」「休息の期間」とも訳すことができます。そして、これはイエス様の再臨によってもたらされるメシアの時代を指すと考えられているのです。この「慰めの時」を「安息の期間」と訳しますと、ヘブライ人への手紙3章、4章に記されている「神の安息にあずかる」という主題と重ねて読むことができます。

ヘブライ人への手紙4章1節から3節前半には次のように言われています。「だから、神の安息にあずかる約束がまだ続いているのに、取り残されてしまったと思われる者があなたがたのうちからでないように、気をつけましょう。というのは、わたしたちにも彼らと同様に福音が告げ知らされているからです。けれども、彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結び付かなかったためです。信じたわたしたちは、この安息にあずかることができるのです。」

また、「慰めの時」を「休息の期間」と訳すのであれば、テサロニケの信徒への手紙二の1章7節に記されている「休息」と重ねて読むことができます。テサロニケの信徒への手紙二の1章6節から7節には次のように言われています。「神は正しいことを行われます。あなたがたを苦しめている者には、苦しみをもって報い、また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき、神はこの報い(休息)を実現なさいます。」

祈り

天の父なる神様、あなたによってもたらされる慰めの時を感謝いたします。大いなる御手に支えられ、導かれて、とこしえにあなたの家で憩うことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。