26:55 またそのとき、群衆に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。
26:56 このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである。」このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。
イエス様は剣や棒をもって捕らえに来た群衆に対しては次のように言われました。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するためである」。
イエス様は毎日、神殿の境内に座って教えていました。もし、イエス様が何か罪を犯したのであれば、そのとき、イエス様を捕らえることができたはずです。しかし、そのようにできなかったのは、イエス様に何の罪も見いだせなかったからです。そのイエス様を、夜に、剣や棒をもって捕らえることは本来おかしなことです。
そして、そのおかしなことが起こったのは、「預言者たちの書いたことが実現するため」なのです。イザヤ書53章に、不法を働かず、その口に偽りもなかった主の僕が、「罪人のひとりに数えられた」と預言されています。その預言のとおり、イエス様は罪を犯したことのない、罪のないお方であるにもかかわらず、強盗のように捕らえられ、強盗と一緒に十字架につけられるのです。
「このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書いたことが実現するため」でした。このイエス様の御言葉は、弟子たちが皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったことにおいても当てはまります。イエス様は31節で、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』と書いてあるからだ」と言われておりました。
すべてがイエス様の御言葉どおり、弟子たちは皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。自分の意志よりも父なる神の御意志を重んじ、父なる神の御心を自分の心とされたのは、イエス様お一人であったのです。イエス様は必ずこうなると書かれている聖書の言葉を実現するために、ユダに裏切られ、罪人たちの手に引き渡されることをよしとされたのです。
祈り
天の父なる神様、最後まで父なる神の御心に従い抜いて、私たちにまことの自由と命をもたらしてくださるあなたの恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。