23:23 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。

 

律法学者たちとファリサイ派の人々が、「薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしている」ことが記されています。

 

レビ記27章30節には、「土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す」と記されています。彼らはこの掟を、薄荷、いのんど、茴香といった薬草にも当てはめて、几帳面に十分の一を献げていました。

 

しかし、彼らは律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしていたのです。このイエス様の御言葉の背後には、ミカ書6章8節の御言葉があると言われています。そこには「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」と言われています。

 

律法学者たちとファリサイ派の人々は十分の一の献げ物を薬草にまで当てはめて捧げていましたが、律法において根本的に主なる神が求めておられる正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むことをないがしろにしていたのです。イエス様は、「これこそ行うべきである」と言われるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、律法学者やファリサイ派の人たちは、彼らなりに律法に従おうとしていましたが、それは的を外れたものであり、正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むという事をおろそかにし、かえってこれを行っているイエス・キリストを迫害する者となっていました。そのような誤りに陥ることがありませんように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。