5:6 それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。

 5:7 目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。

 5:8 わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。

 5:9 だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。

 

「体を住みかとしているかぎり、主から離れている」と言われています。罪のうちにあるこの体は、やがては朽ちていくものです。パウロは、ローマ人への手紙7章において、自分自身の体のことを「死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7:24)と述べています。

 

しかし、やがては朽ちていく「死に定められた体」は、イエス・キリストによる罪の贖いによって、さらに聖霊なる神の導きによって「朽ちない体に復活」するという希望が、イエス・キリストを信じる私たちには与えられているのです。

 

9節には、「体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。」と言われています。罪を犯し続けてきた私たちを愛し、私たちを祝福してくださる神様のお恵みを知らされた者は、神様のお恵みにお応えしていきたいという思いを与えられるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたのお恵みによって「死に定められた体」が罪を赦され贖われて、あなたの恵みのうちに生きることが出来る恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。