5:4 この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。

 

「この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいて」いると言われています。この「重荷」は、この世に生きている私たち自身の罪の重荷であり、この世界が死に定められているという重荷ということができますが、福音宣教の重荷ということもできます。

 

ローマ書8章には、「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。」(ローマ8:22~23)と言われています。

 

被造物もまた、「体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んで」いるのです。「死ぬはずのものが命に飲み込まれ」るためには、「福音」が宣べ伝えられなければなりません。「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。」(ローマ10:14~15)と言われているとおりです。

 

祈り

 

天の父なる神様、死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうためには、私たちの罪が贖われ、罪も穢れもない者に贖われる必要があります。そのために御子をお送りくださり、貴い代償を払って下さいましたことを心より感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。