「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」マタイによる福音書7:13
狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。

狭い門(救いに至る道)と広い門(滅びに至る道)があり、広い道を通っていく人が多いことが記されています。「命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。」と言われているように、命に通じる門は非常に狭い門であると表現されています。

 

同じようなことが、マタイ19章にも「重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイ19:24)と言われています。らくだが針の穴を通るということは、決してできないことです。これは、頑張ればできるようになるというようなレベルをはるかに超えています。いのちに至る門の細さは、ここではらくだがそのたとえに用いられていますが、私たちが針の穴を通るよりも難しいほどにこの門は小さい門であることがわかります。

 

つまり私たちが、その門を通って入ろうと思っても決してできないことだということが分かります。修業を積んで、難行苦行を重ねて出来るようなことではないのです。人間にできることは、滅びに至る広い門を通る以外にないのです。しかし、主イエスは、不可能と思われる狭い門から入って救いに入れられるようにと願っておられます。

 

神は聖なるお方ですから、完全な者(罪のない者)しか神の前に立つことができません。しかし一生涯の間何の罪も犯したことがない人など誰一人としていないのです。しかし、神の御子イエス・キリストが人としてこの世に来てくださり、神の御心に完全にかなう生涯を送って下さり、私たちが、本来受けなければならない罪の刑罰、神の裁きを私たちの身代わりに受けてくださいました。

 

このことによって私たちは、主イエスを私の救い主と信じる信仰によって罪を赦され、キリストという門を通って救いに至る道を開いてくださったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたはすべてのものが救われて、真理を知るようになることを願っておられますが、聖なる、正義をも守られる方であるゆえに、何の根拠もなく人々を救うことはできません。しかし、私たちを罪と滅びのうちより救い出してくださるためにあなたの一人子をも与えてくださった恵みを感謝いたします。

あなたの恵みのうちに、狭い門から命に至る道を歩む者としてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。