ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。「いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、/その報いを受けるであろうか。」すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。ローマ11:33~36

 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(新改訳)

 

「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。」と言われています。私たちは神の知識と知恵を、最後まで知り尽くすことは絶対にできないことでしょう。神のことを知れば知るほど、私たちは自分の知恵をはるかに越える御方との交わりを持っているということを知らされるのです。

 

神の富、神の知恵、神の知識を私たちは到底知り尽くすことは出来ません。神の富は、地球上の全世界はおろかこの大宇宙のすべてのものを合わせても神の富には到底及びもつかないものです。聖書の救いの歴史に見る神の知恵は、私たちの思いや知恵をはるかに超えたものであることが分かります。神の知識は、私たちが持っている知識と比べようもありません。

 

イザヤ書40章には、「手のひらにすくって海を量り/手の幅をもって天を測る者があろうか。地の塵を升で量り尽くし/山々を秤にかけ/丘を天秤にかける者があろうか。主の霊を測りうる者があろうか。主の企てを知らされる者があろうか。主に助言し、理解させ、裁きの道を教え/知識を与え、英知の道を知らせうる者があろうか。見よ、国々は革袋からこぼれる一滴のしずく/天秤の上の塵と見なされる。島々は埃ほどの重さも持ちえない。レバノンの森も薪に足りず/その獣もいけにえに値しない。主の御前に、国々はすべて無に等しく/むなしくうつろなものと見なされる。」(イザヤ40:12~17)と言われています。

 

ここには、神の知恵、神の知識、神の御力、神の愛、神の主権的な御業が、被造物のそれと比較して語られています。そして事実、この神の御業によって、私たちは今日もここに生かされているのです。遠くまで観測できるような望遠鏡が発明されて、私たちはますます自分たちの知らないことが多いのかということとこの宇宙の調和と絶妙なバランスの上にこの宇宙が動いていることを知るようになりました。電子顕微鏡が発明されてミクロの世界が如何にすぐれたいのちを育む世界となっているかを驚きを持って見ることが出来るようになりました。

 

祈り

 

天の父なる神様、人間にはいのちを作り出すことは出来ません。またその寿命を延ばすことも出来ません。この世界のあらゆるものの生と死を支配しておられるのはあなたです。このいのちの世界に私たちを置いて下さり、ともに生きる喜びを与えてくださることを感謝いたします。

聖書によって私たちの神を知れば知るほど、「神の富と知恵と知識のなんと深いことか。」と驚きを覚えるとともにあなたの深い愛と慈しみを覚えて感謝いたします。障害あなたとともに歩むことが出来ますようにお守りお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。