しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。コリント人への手紙第二12:9-10

この前の個所で、パウロは、思い上がることがないように一つのとげが与えられたことを記しています。「とげ」というのは、何らかの病気か障害があったのではないかと考えられます。パウロは弱視だったのではないかとも考えられていますが、だれでも、病気や障害が癒されたいと願います。パウロも、そうした病気や障害がなければもっと活躍できたのではないかと思う方もあるかと思います。

 

パウロはこの病気や障害を無くしてくださるように神に祈りましたが、その時の神様からの答えが今日の聖句です。

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」

「わたしの恵みは、あなたに十分である。」というのは、現在のパウロにとって、神の恵みは十分に与えられているというのです。それは、7節で、「思い上がらないように」と言われているように、パウロが思い上がらないようにと与えられた「とげ」であったようです。

 

神は誰よりもパウロのことをご存知であるからこそ、彼には「とげ」が与えられていることによって、傲慢になることなく、神とともに、その恵みのうちに歩むことが出来るようにお導きくださったのです。

 

私たちにもおなじようなことがあるかもしれません。私たちも、自分の中にある何かをではなく、主イエスの十字架と、自分の弱さを誇る者でありたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、パウロは、クリスチャンになって、主イエスの福音を伝えるようになって、多くの迫害を受けるようになり、重い病か障害である「とげ」をも与えられましたが、神は、「私の恵みはあなたに十分である」と言われました。私たちにも、必要な恵みをもって満たしてください。

イエス・キリストの御恵みによって祈ります。アーメン。