8:11 「このたとえの意味はこうである。種は神の言葉である。

8:12 道端のものとは、御言葉を聞くが、信じて救われることのないように、後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る人たちである。

 

種まきのたとえにおいて、種は神の言葉であると言われています。私たちの人生において、何よりもまず求めていきたいものは神の言葉ではないでしょうか。

 

神の言葉は、現在では聖書によって、神は私たちに啓示してくださっています。ローマ書10章15節には「遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。」と言われています。

 

 

聖書のみ言葉を伝えることが、ここでは種まきのたとえとして述べられています。遣わされる人も、自分の意思によってというよりは、神によって遣わされた人であり、これを受け入れることが出来るようになるために、聖霊が働いて下さるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、神の言葉という種をまく人たち、良い知らせを伝える者を神と共に生きる者として育ててくださり、私たちもそのような方々によって福音を知ることが出来るようになりました。様々な困難を乗り越え命を懸けて福音を伝えてくださった多くの人々を感謝いたします。これを伝えられた者はそのまま、この善き知らせを伝える者として召されています。どうかこの尊い働きを果たしていくことが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。