「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。 1コリント6章12節

クリスチャンとは、罪を赦され、もはや罪と死の束縛のうちにはおかれていない、自由なものとされた者です。それは素晴らしい恵みのうちに招き入れられたのですが、だからと言ってどんなことをしてもよいというわけではありません。

イエス・キリストも神の御子として、文字通り自由なお方ですが、自由であるということは、自分の好きなようにどんなことでもできるということではないのです。主イエスは、その生涯において、100%父なる神の御心に従って歩まれました。何一つ罪を犯すこともありませんでした。

自由であるということは、何でも自分の思いのままに生きるということではありません。主イエスのように、罪と死からも自由であり、神とともに歩むことができる人生ということです。

祈り

天の父なる神様、自由であることは素晴らしいことですが、罪のために自由を失っている人がたくさんおられます。私たちは皆、自由になるためにはその罪をあがなっていただく必要があり、神によってその罪を赦していただく必要があります。赦しと愛をもたらしてくださった主イエスに感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。