5:17 ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。
5:18 すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。
5:19 しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
5:20 イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
5:21 ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
メシアが来られた時に、その人が本当のメシアかどうかを判定するために、ファリサイ派の人々と律法学者たちは、主イエスのところにやってきました。
彼らがまず最初にしたことは、観察するということでした。旧約聖書に基づいた証言や働きをしているのかということを吟味するはずですが、実際には彼らがこれまで考えてきた律法に関する解釈に基づいての判断であったようです。
主イエスはこの時、中風を患った人を癒されたのですが、この時「あなたの罪は癒された」と言われたのです。神以外に人の罪を赦すことは出来ないと考えていた人たちは、イエス様のこの言葉に対して、これは神を冒涜することだと考えました。
しかし、イエス様は実際に人の罪を赦すことの出来る権威をもった神の御子であったのです。
祈り
天の父なる神様、私たちすべてのものが罪と死の束縛の中にあります。しかし、この束縛から解放し、罪を赦し、自由をもたらすためにキリストは来てくださいました。真の意味で自由なものとされて神と共に歩む者でありますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。