9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
立場上、自分が立っているところが人より高いところにあるとき、私たちは人を見下すことがあります。心持ちが人と同じ位置にいるなら見下すこともありません。人を見下し否定するとき、私たちはその人より高いところに立っているものです。
徴税人のマタイは、イエス様によって弟子として招かれた時、イエス様をお招きして他の人たちにもイエス様のお話を聞かせたい。そして一緒に食事もしたいと思いました。当時のユダヤ人は、よほど気心が知れた信頼できる人としか一緒に食事をすることはありませんでした。
徴税人であったマタイの友人や知り合いと言えば同じく徴税人であった人たちや過去に罪を犯してきた人たちがたくさんありました。そんな人たちが集まってくるということが分かっていましたが、イエス様はマタイの家で食事をすることに同意して、彼らと一緒に食事をしました。
神から与えられた食事を感謝し共に分かち合う。イエス様とともに食事をすることも神への礼拝でした。汚れた人、罪人と共に交わりを持ったり食事をすることは、ユダヤ人たちが避けたがっていたことでした。罪人と共に食事をすることによって、食事を共にした者も汚れた者、罪人と呼ばれるようになるからです。
そのような人たちとともに食事をなさるイエス様の姿は、罪ある者を愛し、そのひとりひとりの重荷を担い、仕えてくださるイエス様の姿をよく表しています。
祈り
天の父なる神様、あなたの目から見て、私たちは何と汚れた者でしょうか。罪を犯しても罪と思わないような者ですが、そのような私たちを救うために、私たちと同じものとしてこの世に来てくださいましたあなたの恵みを心より感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。