13:11 主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、

13:12 初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。

13:13 ただし、ろばの初子の場合はすべて、小羊をもって贖わねばならない。もし、贖わない場合は、その首を折らねばならない。あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて、贖わねばならない。

13:14 将来、あなたの子供が、『これにはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『主は、力強い御手をもって我々を奴隷の家、エジプトから導き出された。

13:15 ファラオがかたくなで、我々を去らせなかったため、主はエジプトの国中の初子を、人の初子から家畜の初子まで、ことごとく撃たれた。それゆえわたしは、初めに胎を開く雄をすべて主に犠牲としてささげ、また、自分の息子のうち初子は、必ず贖うのである。』

13:16 あなたはこの言葉を腕に付けてしるしとし、額に付けて覚えとしなさい。主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出されたからである。」

 

私たちのいのちも、私たちが住むこの世界のあらゆるものが神によって与えられたものです。

神によって日々生かされている私たちですが、ここでは「初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。」と言われています。

 

ローマ信徒への手紙121節には、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」と言われています。このことを踏まえてみると、これは初子をささげれば、あとは好きなようにすればよいということではありません。

 

実際のところは、すべての人が自分自身を神に捧げることが求められているのです。どの人も神によってこの世に生を与えられ、神によってこのいのちを育まれているからです。あらゆるよきものは神によってもたらされていますから、与えられ生かされている私たちにも自分自身を捧げることが求められているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、多くのものをお与えくださりありがとうございます。多くのものを与えられながら、あなたの恵みにお応えすることの少ないことを思います。あなたの恵みに応えて自分自身を献げることが出来ますように、心を尽くしてあなたを愛し、自分を愛するように隣人を愛することが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。