18:23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。

 18:24 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。

 18:25 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。

 

 18:26 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。

 18:27 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。

 

ここに登場してくる「王」また「主君」は、父なる神様のことです。また、一万タラントンの借金をしている家来とは、私たち一人一人のことです。一万タラントンは、現代で言えば何十億という金額ですが、それほど莫大な借金を私たちは神様に対して負っているのです。

 

ここに言われている借金は、私たちが神に対して犯している罪のことです。私たちは、思いと言葉と行いにおいて日々罪を犯していますが、それは何十億という借金にたとえられるほど莫大なものです。しかし、王であるイエス様の天の父なる神は、その莫大な借金を帳消しにしてくださいました。

 

罪が赦されるということは、莫大な借金を帳消しにしてくださったことに譬えられるのです。それは、ひとえに王の憐れみによるものでした。27節には、「その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった」とありますが、ここで「憐れに思って」と訳されている言葉は、「はらわたがちぎれる想い」をもって赦してくださったということです。

 

借金は返さなければならないものですが、家来の借金はとても大きなもので、とても返済することが出来ないものでした。主君は、返済期間を延ばすのではなく、借金そのものを帳消しにしてくださったのです。この恵みの大きさは、私たちが想像するよりはるかに大きなものです。

 

祈り

 

天の父なる神様、莫大な借金にたとえられる罪をイエス・キリストにおいて赦してくださる恵みを感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。