欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。ヤコブの手紙1章15節 試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。ヤコブの手紙1章12~14節  

ヤコブの手紙が書かれた当時、さらにその後も激しい迫害が続きました。しかし、初代の教会は、その試練に耐えて信仰を保ち続けたばかりではなく、クリスチャンの数がどんどん増えていき、ローマ帝国では、312年にコンスタンチヌス帝が、キリスト教を国教と定めるまでになっていきました。

  まだ、クリスチャンはほんの一握りでしかなかったころ、主イエスは、この福音がエルサレムから始まってユダヤの全土、および地の果てにまで伝えられるようになると預言しておられましたが、今日ではその言葉の通りになってきたことを確認することができます。

  神は人を誘惑なさることはりませんが、悪魔によって誘惑されたり、人の心のうちにある欲望によって、悪の道に陥ってしまうことがあります。神によって守られ、支えられて歩むことができるように祈りましょう。

  祈り
天の父なる神様、「我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」と祈るようにイエス様は教えてくださいました。私たちは、あなたの助けと守りの御手がなければすぐに誘惑に負けてしまうようなものです。どうか、あなたの御手をもって守り導いてください。 イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。