9:7 そもそも、いったいだれが自費で戦争に行きますか。ぶどう畑を作って、その実を食べない者がいますか。羊の群れを飼って、その乳を飲まない者がいますか。
自費で戦争に行く人は先ずありませんが、パウロは自費で福音の宣教をして霊的な戦いの中に自分の身をささげているのです。
旧約聖書において、イスラエルは「ぶどう畑」と呼ばれています。イザヤ書5章には、「ぶどう畑の歌」という表題でぶどう畑であるイスラエルについて記されています。
「 わたしは歌おう、わたしの愛する者のために/そのぶどう畑の愛の歌を。わたしの愛する者は、肥沃な丘に/ぶどう畑を持っていた。よく耕して石を除き、良いぶどうを植えた。その真ん中に見張りの塔を立て、酒ぶねを掘り/良いぶどうが実るのを待った。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。」(イザヤ書5章1~2節)
また、イスラエルは羊の群れと言われています。「わたしたちはあなたの民/あなたに養われる羊の群れ。とこしえに、あなたに感謝をささげ/代々に、あなたの栄誉を語り伝えます。」(詩編79編13節)、「知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民/主に養われる羊の群れ。」(詩編100編3節)など。
神の前に真実なぶどう畑であり、真実な羊の群れであろうとしているパウロの言葉がここにあるのです。
祈り
天の父なる神様、あなたが選び、召してくださった神の民が、あなたに忠実に生きることが出来ますように、この世界の光として、地の塩として生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。