19:20 また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。
19:21 あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』
19:22 主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。
19:23 ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』
19:24 そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』
ヘブライ人への手紙には、「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブライ9:27)と言われていますが、世の終わりの時には、最終的な神の裁きがなされ、永遠の命という祝福に与る者と滅びに至る者が分けられると言われています。
その意味では、一人残らず、すべての人についての教えが今日の聖句にも記されているということが出来ます。ここには、主人から1ムナを与えられましたが、次のように考えて、主人のためには何の働きもしなかったというのです。
『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。 あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』
私たちも、この世に生まれた時から、主人である神様からたくさんのものを与えられて今日まで生かされてきました。しかしこの人は、主人によって生かされたことへの感謝もなく、かえって主人に対する反抗的な思いをもって生き続ける者に対しては、終わりの時の裁きによって、これまでいただいたものまでも取り上げられてしまうことになるのです。
祈り
天の父なる神様、1ムナは、お金に換算すれば100万円ほどのものですが、実際にあなたが私たちに与えて下さっている恵みは、そのような小さなものではありません。実に多くの恵みを与えられていることを覚えて、感謝をもって過ごすことが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。