4:28 そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。
4:29 主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。
主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。
このみ言葉において、信者たちは、「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め」てくださいと祈っています。信者たちは、迫害をやめさせてくださいとは祈りませんでした。なぜなら、それは詩編第2篇の成就として避けられないことであったからです。
王たちや指導者たちがメシアを排斥したように、メシアの民も排斥されるのです。イエス様もヨハネによる福音書の15章20節でこう言われました。「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたも迫害するだろう。」
ですから、信者たちが祈り求めたことは、彼らの脅しを止めさせることではなくて、主がその脅しに目を留められること、教会を迫害する者たちの手綱を主が握ってくださり、御手のうちに治めてくださることを彼らは祈り求めたのです。
教会への脅しは、他でもない主とそのメシアに逆らうことです。教会は、主なる神とそのメシア、イエス・キリストのゆえに迫害されるとき、正当に神の守りを祈り求めることができるのです。
続いての祈りは、「あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」という祈りです。ここで信者たちは、指導者たちの脅しに屈することなく、むしろ、それに打ち勝つように、さらなる大胆さを祈り求めました。
ここで「大胆に」と訳されている言葉は、元々は「遠慮なく自由に語ること」を意味します。人の顔色を気にせず、遠慮なく自由に語る。それが大胆に語るということです。「今後あの名によって語ってはならない」という指導者たちの脅しに対して、教会は、自由に語る大胆さを祈り求めたのです。
祈り
天の父なる神様、かつて預言者たちが、そしてイエス・キリストが迫害されたように、今は使徒たちやイエス・キリストの弟子たちも迫害を受けている中で、使徒たちは、「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」と祈りました。そして実際に、彼らが大胆に語ることが出来るように聖霊によってお導きくださり、私たちにもあなたの御業を理解し、あなたのみこころを求めて生きる者としてくださる恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。