24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。
24:38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
24:39 そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。
この世界は、イエス・キリストの再臨によって終わりを迎え、神の救いの約束が完成する時を迎えるのですが、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」と言われています。
そして、イエス様は、御自分が来られるのはノアの時と同じようだと言われるのです。「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである」。
創世記の6章から8章にはノアの洪水について記されています。創世記の6章5節から8節には、「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかり心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。『わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する。』しかし、ノアは主の好意を得た」と言われています。
このように洪水はアダムの最初の違反によって堕落し、常に悪いことばかり思い計っている人間を地上からぬぐい去るために神様が起こされた裁きだったのです。しかし、神様はノアに目を留められ、恵みを与えられました。神様はノアに、「すべての肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている」ことを知らせ、生き延びることができるように箱舟を造るよう命じられたのです。
しかし、多くの人々はそのことを知りませんでした。彼らは、神様の裁きなど考えることもなく、食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたのです。神様の裁きなど考えることもなく、日常生活に明け暮れていたのです。彼らは、洪水が襲って自分たちをさらうまで、自分が神様に裁かれる存在であることに気づかなかったのです。イエス様は「人の子が来る場合もそれと同じである」と言われました。
祈り
天の父なる神様、闇が世界を覆っているような有様が続いていますが、終わりの時には神の裁きがあること、それはノアの洪水の時と同じようであることを教えられています。すべては主の御手の中にあることを覚えて、あなたの御心を求めて生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。