24:14 しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。
24:15 更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。
24:16 こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。
24:17 さて、私は、同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。
ユダヤ人たちはパウロを訴えるために、彼が群衆を扇動して暴動を起こしたと言いましたが、実際に調べてみればそのような証拠はどこにもありませんでした。
この時のパウロの弁明は、単に弁明というよりはここでも彼はイエス・キリストの証人としてイエス・キリストによる神の救いの御業を最高議会の人々にも証ししようとしていることが分かります。
この当時は、ユダヤ人の中でイエス・キリストが聖書が証ししている約束のメシアであると信じている人たちは、ユダヤ教の分派であると考えられていました。パウロはこのような聖書の理解に立っている信仰者たちのことを「この道」と呼んでいます。
彼はここで、イエス・キリストを信じて、「この道」を歩んでいる自分たちは、聖書から外れたものではなく、かえって「先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じて」いる者たちであると主張しています。
彼が聖書に基づいて「復活の希望」を持っていることや「神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めて」いることを主張しています。
こうしたパウロの主張は、自分たちの主張が聖書に矛盾するものではなく、むしろ聖書に従う者たちであり、「神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めて」いる者たちであると述べているのです。
祈り
天の父なる神様、救いの御業を実現するために預言者を遣わし、ひとり子をも遣わしてくださる恵みを感謝いたします。旧約聖書も新約聖書も、すべてはイエス・キリストによる救いを証するものであることを教えてくださいました。そして今もパウロのような働き人を立ててくださることを感謝いたします。あなたの御心が行われますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。