8:18 シモンは、使徒たちが手を置くことで、“霊”が与えられるのを見、金を持って来て、
8:19 言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」

使徒言行録は、2章で、ペンテコステの日、聖霊を受けた弟子たちがいろいろな国の言葉で神をほめたたえたことを記していました。また、10章では、異邦人が聖霊を受けたしるしとして、異言を話し、神を賛美したことが記されています。また、19章でもヨハネの洗礼しか受けていなかった者が、パウロによってイエスの名による洗礼を受け、パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたことが記されています。

このように、異言や預言は、確かに聖霊が降ったことを表すしるしであると言えます。天におられるイエス様は、サマリア人にも同じ聖霊が降ったことを明らかにするために、このときも異言や預言のしるしを伴わせられたと考えられるのです。

しかし、その様子を見て、魔術師のシモンは喜びに包まれたのかと言うとそうではありません。彼は家に急いで帰り、金を持って来て、「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください」と願ったのです。

ここに、イエスさまを信じ、洗礼を受けた者でありながら、腹黒い者であり、自分の利益のためにその力を得て利用していこうとするシモンの姿が表れています。シモンは、使徒たちが彼ら自身の力で、まるで呪文を唱えるかのように、聖霊を授けることができると考えたのです。シモンは、フィリポばかりではなく、ペトロとヨハネの行為をも、魔術の延長線上にあると考えていたのです。

祈り

天の父なる神様、魔術師のシモンは、洗礼を受けたとはいっても、イエス・キリストを信じて主に従う思いをもって洗礼を受けたのではなく、その動機は不純な者でした。私たちはそうではなく真心からあなたに聞き従うことが出来ますようにお導きください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。