2:30 ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。
2:31 そして、キリストの復活について前もって知り、/『彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない』/と語りました。
ペトロはキリストの復活について述べていますが、神が与えて下さる「命」は、この地上の命だけに限られない、死んだ後にも続く、神と共に生きる永遠の命を表しています。その永遠の命に至る道を自分に示し、いつまでも自分が神の御前に喜び生きることができる。その希望、信頼をダビデはここで歌っているのです。
このように、このダビデの詩編には、神との交わりは、死さえも奪うことはできない。神は死を越えて、わたし神でいてくださるという信頼に基づく復活の希望が歌われています。そして、ペトロは、「この希望は、ダビデ自身については実現しなかった」と言うのです。なぜなら、先祖ダビデは死んで、葬られ、その墓は今でもエルサレムにあったからです。
ダビデは、「あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない」と歌いましたが、ダビデの肉体は朽ち果てて、お墓の中に納められていたのです。それでは、このダビデの期待は誰において実現したでしょうか。ペトロは、30節において、
ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました。
ここで、ダビデは預言者と言われています。詩編は祈りと賛美の書というだけではなく、預言の書でもあるのです。この「子孫の一人をその王座に着かせる」という言葉は、ダビデその子孫であるイエス・キリストおいて、このダビデの預言が実現したのだと語ります。そればかりか、ダビデは、キリストの復活について前もって知っていたと語っているのです。
祈り
天の父なる神様、あなたの恵みによって、肉体の命を与えて下さるのみならず、罪のために死にいたるべき私たちのたましいを生き返らせ、命に至らせてくださる恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。