奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。エフェソ6:5~7
この手紙が書かれた当時のローマ帝国においては奴隷制が一般的に行われていました。奴隷の身分に置かれている人たちの中にも多くの人々がキリスト教会に集って礼拝をささげるようになりましたが、そうした人たちに対して、真心から肉の主人に従うようにと勧められています。
もしも私たちが奴隷の身分であったらどうでしょうか。毎日、主人からの命令を聞いて、その通りに従わなければなりません。立場は対等ではなく、自由もありません。そのような境遇にあれば、不平や不満を抱いたり、自分はダメな人間だと自分自身を卑下したり、生きる希望を失いがちになることも考えられますが、彼らにとってイエス・キリストとの出会いは、大きな希望を与えられるものであったに違いありません。
「人にへつらおうとして、うわべだけで仕えるのではなく、キリストの奴隷として、心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。」心を込めて主人に仕えるという在り方は創世記に出てくるヨセフの姿と重ねてみることもできるでしょう。その人がどのような身分であったとしても、神はその人をご覧になっており、ヨセフになさったようにその人を守り、支え、導いてくださるのです。
祈り
天の父なる神様、聖書が書かれた当時のクリスチャンたちは、自分たちを神のしもべ(奴隷)であると告白していました。主に仕えるように心を込めて人々に仕えることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。