1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。
1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、
1:69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。
1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。
ヨハネの父となったザカリヤは、祭司でしたが、神が約束してくださっていたメシアを心から待望していた人であることが、今日のみ言葉からも分かります。
今の時代の私たちからすれば、再臨のキリストを待ち除くことと同じです。信仰とは、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブライ11:1)と言われているように、今はまだそれが実現していなくても、神の約束を信じ、将来神が実現してくださる救いの御業が行われることを信じて生きることがクリスチャンの生き方であると思います。
ザカリヤは、この時点ではまだメシアは生まれていませんが、マリアがエリサベツのところに来て天使からのお告げを話したとき、ザカリヤは、マリアに語られた天使の言葉をも信じてこの言葉を語ったに違いありません。
約束の救い主がついに来られる。この喜びの賛美を私たちも歌うことが出来るはずです。
祈り
天の父なる神様、預言者たちの口を通して語られた通りに、あなたは救いの御業をこの歴史の中に実現してくださっています。私たちもあなたの救いの御業を覚えて御名を讃えることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。