9:18 では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。

 9:19 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。

 

パウロは、自分に与えられた権利を用いないで、無報酬で働いてきましたが、彼は、自分が彼を召してくださったキリストのしもべ、すなわちキリストの奴隷であることを表明しています。彼は報酬の有無にかかわらず福音を宣べ伝えてきたのです。

 

彼にとって福音を宣べ伝えることは、どうしてもしなければならない、神に委ねられた働きでした。そしてこの働きをしていくために、「できるだけ多くの人を得るために」「すべての人の奴隷となった」のです。

 

しもべ(奴隷)は、主人の願いを聞いて、それに従う者です。それは自分の願いとは異なる場合も多々あるのではないかと思われますが、キリストのしもべは、聖霊によって、自分自身の心そのものが新たにされて、自分の願いをキリストに合わせていくというあり方へと導かれていくのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あるとき百人隊長が、「わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」と答えた時、「イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」(マタイ8:9~10)と言われました。

主のしもべとして生きる信仰をもって、あなたの御あとについていくことができますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。