10:18 肉によるイスラエルの人々のことを考えてみなさい。供え物を食べる人は、それが供えてあった祭壇とかかわる者になるのではありませんか。

 10:19 わたしは何を言おうとしているのか。偶像に供えられた肉が何か意味を持つということでしょうか。それとも、偶像が何か意味を持つということでしょうか。

 10:20 いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。

 

パウロは自問自答することによって、ここまでの議論を整理しています。彼は第8章から「偶像に供えられた肉」の問題について記してきましたが、4節では「そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています」と記していました。

 

実際のところ「世の中に偶像の神などなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいない」のです。コリント教会の知識のある人たちは、偶像の神などなく、唯一の神以外にいかなる神もいないのだから、偶像に供えられた肉もただの肉に過ぎないと言って、平気で食べたのです。そのような知識のある人たちに対して、パウロは9節で「ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい」と記したのです。

 

パウロは弱い人たちを躓かせることがないように、彼は肉を食べることを控えていました。パウロは偶像の神殿の食卓に着くことそれ自体の理由からは禁じていなかったのです。しかし今日の御言葉では、偶像に献げる供え物は神ではなく悪霊どもに献げているという点から、偶像の神殿の食卓に着くことを禁じています。

 

確かに偶像に献げられた肉は、知識のある人たちが言うようにただの肉にすぎません。それならば、偶像に献げられた肉を食べてよいかと言えば、「偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている」、偶像礼拝の背後には、人を真の神から引き離そうとする悪霊どもの力が働いているので、そうしたものを避けるようにと述べているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、この世界はサタンや悪霊の影響を受けていますので、まことの神を神として生きるためには、信仰の戦いをもって神に従っていくことが求められています。あなたの御心を求めて生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。