怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。ローマ12:11~13

勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。(新改訳)

 

「勤勉で怠らず」とありますが、この原動力はどこから来るのでしょうか。今の時代、うつに悩んでいる方がたくさんおられます。働かなくちゃと思いながらもやる気が出てこない。何もやる気がしないで引きこもりの生活に明け暮れているという方も少なくありません。若者の不登校もこの社会に影を落としているように思われます。

 

そうした人たちに、今日のみことばをそのまま語っても心には響かないでしょうし、却って重荷を加えるようなことになるのではないかと思われます。いったい何が人の心を動かすことが出来るのでしょうか。それは、「愛」に他ならないでしょう。パウロがこれまで記してきたことは、「神の愛」についてでした。

 

罪の内にある私たちを神は愛してくださって勤勉で怠ることなく私たちを生かし、導き続けてくださいました。すべての人はこの神の愛によって支えられ、生かされています。詩編121編には、「主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。」(詩編121:3~4)と言われています。

 

私たちはみな、自分を今日も生かし育んでいてくださる神の愛を知る必要があります。そうするとここに勧められている事のすべては神がその愛をもって私たちにしてくださることだということが分かってきます。神を知るならば、私たちは望みを抱いて喜ぶことが出来ます。

 

神が与えてくださる希望と喜びは、一時的なものではありません。それは永遠に続く希望であるからこそ、私たちの周囲の状況がどのようであれ、希望を抱いて喜ぶことが出来るのです。

 

永遠の御国の希望についても、パウロは8章18節で「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」と語りました。「将来私たちに現わされるはずの栄光」は、「栄化」ということですが、私たちが死を迎えた後で栄光の体に復活するという希望が私たちには与えられているのです。

 

「現在の苦しみは」とあるようにクリスチャンには試練があることが分かりますが、続いては、「苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」と言われています。試練の中にあるときこそ、祈りは単なる願いに留まらず、神を讃美し、神に感謝をささげるものとなります。祈りにおいて神との豊かな交わりをいただくことができます。ともにおられる神に信仰をもって祈るなら、聖霊によって守られ、それを乗り越えることが出来るように導かれていきます。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたはまどろむことなく今日も私たちを守り、支え、み言葉によって、聖霊に導かれて生きることができるようにお導き下さることを心より感謝いたします。あなたが私たちを愛してくださるように、私たちもあなたを愛し、互いに愛し合う者となれますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。