兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。ローマ12:10

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。(新改訳)

 

前節に続いて、ここでも真実の愛について述べられています。主イエスは、ヨハネの福音書13章において、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)と言われました。

 

主イエスが、「わたしが愛したように」と言われているように、神の愛、アガペーの愛が愛の基準です。従って、神を知らなければ愛は分かりません。

神は愛であり、愛は神から出ていることがヨハネの第Ⅰの手紙に記されています。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。」(1ヨハネ4:7~11)

 

「愛」は単なる言葉ではなく、概念でもありません。具体的な行為として現れてくるものです。神の愛は、聖書の歴史の中に、そして、今この時代の私たちにうちにも具体的な行為として現れているのです。

 

ここにはまた、「尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」と言われています。

フィリピ2章には、「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6~8)イエス・キリストご自身が、自分を無にしてしもべの身分になり、へりくだって十字架の死に至るほどに私たちを愛してくださったのです。

 

イエス・キリストがへりくだって私たちに仕えて下さったことと神の愛は不可分の関係にあります。キリストは、私たちを大切なひとりとして覚えてくださり、愛してくださいましたから、天にある御自分の栄光を惜しむことなく、喜んでご自分の命をも捨ててくださったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、唯一無比のあなたの愛を感謝いたします。神を知るまでは、私たちは本当の愛というものを知りませんでした。そして、私たちがすでにあなたの愛によって生かされてきたことも、御霊の導きがなければ知り得ない者でした。主イエスの愛の深さ、広さ、長さ、高さがどれほどであるのかを知ることが出来、キリストに似た者とされていきますように。

主イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。