7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。
7:12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。
7:13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。
イエス様の後には、弟子たちとともに大勢の群衆たちも一緒にいて、イエス様のなさることを見聞きしていたようです。大勢の群衆といわれていますので、かなり多くの人たちがその場にいたものと思われます。
ナインという町の門に近づいた時、「ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところ」でした。その母親はやもめであり、すでに夫も亡くなっていたのでしょう。そしてこの母親にとって大切なひとり息子が死んでしまったのです。母親の悲しみはどれほど大きなことでしょうか。
その様子を見た時、イエス様は、「憐れに思い、「もう泣かなくともよい」」と言われました。
このような時、その母親に対して、「もう泣かなくてもよい」といえるような人はこの方以外にはいないでしょう。
このように語ることが出来るお方は、神の前に何の罪もなく、私たちを罪と死の束縛から救い出してくださる方以外にはありません。それは、真実の意味で私たちの罪を赦し、贖ってくださることの出来る方以外にはいないのです。
祈り
天の父なる神様、人間は自らの罪と死の現実をなかなか直視し、受け止めることが出来ません。必ず死を迎える時が来るという現実を知りながらも、死に対する備えをすることも出来ていないことが多いのではないでしょうか。そこには言いしれない恐れがあるように思われます。しかし、「もう泣かなくてもよい」と言ってくださる方に心を向ける時、死の現実をわきまえながらも平安に生きることが出来ます。あなたの恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。