9:6 つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。
9:7 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
ここでパウロは、エルサレム教会への献金を種蒔きと収穫に譬えています。エルサレム教会への献金は、貧しい人たちを助けるためのものでした。箴言19章には「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる。」(箴言19:17)、また同じく22章9節には「寛大な人は祝福を受ける/自分のパンをさいて弱い人に与えるから。」と言われています。
いずれも、弱い人たちへの施しをする人は祝福を受けると言われています。献金や施しをする場合、覚えておくべき大切な言葉が7節に記されています。「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」
強制されたりいやいや行うというのではなく、神様によって与えられている多くの恵みを覚えて、まごころから、感謝と喜びをもって捧げたり施したりすることが大切なのです。
祈り
天の父なる神様、この世界には富める人もあれば貧しい人もありますが、どの人も互いに愛し合うことをあなたは願っておられます。愛し合う社会を形作っていくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。