13:51 「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。

 13:52 そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」

 

 イエス様は、弟子たちに、「あなたがたは、これらのことがみな分かったか」と言われました。ここで「分かる」と訳されている言葉は、11節で「悟る」と訳されていたのと同じ言葉です。イエス様は、弟子たちに、「あなたがたは、これらのことをみな悟ったか」と問われて、弟子たちは、「はい」と答えたのです。

 イエス様は、弟子たちの「はい」という返事を受けて、こう言われます。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」。ここでイエス様は、弟子たちを「天の国のことを学んだ学者」と言われました。イエス様は、私たちを「天の国のことを学んだ学者」と呼んでくださるのです。

天の国について学ぶための教科書は聖書ですから、私たちは、礼拝において、あるいは機会があるごとに進んで聖書を学ぶ必要があります。

 さらに、「天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」と言われました。ここでの「自分の倉」とは「自分の心」のことです(1235参照)。「新しいもの」とは、イエス様によって与えられた教えであり、「古いもの」とは、それまでに与えられた神様の教えです。

聖書は、新約と旧約から成り立っていますが、「新しいもの」を新約、「古いもの」を旧約と理解してよいでしょう。イエス様を信じない律法学者たちは、自分の心から古いものしか取り出すことができません。しかし、天の国について学んだ学者である弟子たちは、自分の心から、新しいものと古いものを自由に取り出すことができるのです。そのようにして、天の国のことを人々に教えることができるのです。

私たちは、自分の倉から新しいものと古いものとを自由に取り出す主人のように、旧約と新約からなる聖書全体に精通していくことが必要です。なぜなら、聖書は、新しいものと古いものが合わさったその全体が聖書だからです。私たちはイエス様によって教えられて、聖書全体から、自由に天の国について教えることができるようになるのです。

祈り

 

天の父なる神様、神の国を私たちにもたらしてくださった恵みを感謝いたします。確かな信仰をもって生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。