このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。ローマ5:2
またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。(新改訳)
「恵みに導きいれられた」という表現には、自分で選んでこのようになったのではなく、神の導きによって恵みの中に入れられたという感謝が込められています。
神学者たちが集まって、キリスト教が他の宗教と違うところは何かという話しをしていました。ある人は、神による創造こそが独自の教えだといいましたが、ギリシャ神話や日本の国生みの神話などにも神による創造ということが言われています。またある人は、神の御子の受肉だと主張しましたが、こうした教えも他の宗教にはあるようです。それでは何が独特なことだろうかと考えていた時、C・S・ルイスが、それは「神の恵みだよ」と言ったそうです。
神の恵みについて深く理解しようと思えば、他に比類を見ない奥深いものだということを考えさせられます。聖書は恵みの言葉であると言えます。
パウロは、やがてではなく、信仰によって今すでに恵みの世界に入れられていると語っています。
私たちも、イエス・キリストが私の罪のために死んだこと、葬られたこと、よみがえられたことを信じるならば、今すでにパウロと同じ恵みに導きいれられているのです。恵みとは、ギリシャ語では「カリス」と言われますが、それは罪人に与えられる神からの一方的な愛のことです。
祈り
天の父なる神様、寒い日々が続きますが、このときもあなたの御手に守られて恵みのうちを歩むことが出来ますことを、心より感謝いたします。
あなたの深い恵みを、自分のこととして知ることができますように、そしてあなたが与えてくださる確かな喜びを私の心に満ち溢れさせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。