3:9 民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。
3:10 彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

この人は、毎日、「美しい門」という神殿の門のそばに置かれていました。これはもう少し正確に言うと「門の前に置かれていた」ということです。この人は、生まれてこの方、神殿の境内には入ったことはありませんでした。彼は、いつもその門の前に置かれていたのです。

目や足の不自由な者は、神殿に入ってはならなかったからです(サムエル下5:8)。ですから、この時、はじめて、この男は、神殿の境内へと足を踏み入れることができたのです。

イエス様も神殿を「わたしの父の家」と呼ばれたように、神殿は神がその名を置くと言われた場所であり、神と民との出会う場です。このように、この男は、イエス・キリストの名によって、神との交わりへと回復されたのでした。そして、これこそが、彼に起こった奇跡だったのです。

祈り

天の父なる神様、美しの門で施しを乞うていた人は、ペトロたちとの出会いによって、不自由な足を癒されたばかりではなく、主なる神を信じて生きる者とされ、神との関係を回復されて、新しい人生を生きる者とされました。この奇跡は、今の時代私たちにも起こっている恵みです。感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。