19:3 ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。
19:4 イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」
19:5 そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。
19:6 だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
「ファリサイ派の人々」とは、当時の政治的、宗教的指導者で、旧約聖書を熱心に研究し、律法に従った生活をしようと務め、人々にもそのように指導していた人たちです。けれども、彼らの聖書についての理解や言動はイエス様の教えとはかなり食い違っていたために、マタイによる福音書12章には、「ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。」(マタイ12:14)と言われています。
そのファリサイ派の人々が近づいて来て、イエス様に尋ねました。「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」。ここでファリサイ派の人々は、イエス様を試そうとして、さらには言葉尻を捉えて、陥れようとして、このように尋ねたのです。
それに対して、イエス様は、旧約聖書の創世記の御言葉を引用して、お答えになりました。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった」。創世記の1章27節には、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」と記されています。そのように、神は初めから人を男と女にお造りになりました。
このように聖書には、神様が初めから人を男と女に創造し、二人が結婚して生きる者として創造されたことを教えているのです。さらに、イエス様は「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と言われたのです。
結婚は、人間が考え出した制度ではなくて、神様が定められた制度であり、結婚する二人は神が結び合わせてくださったと言われているのです。ですから、人はその結びつきを離してはならないのです。このように、イエス様は創世記の御言葉から、離縁が神の御心ではないことを教えておられるのです。
祈り
天の父なる神様、男と女に創造されて結婚し、家族が与えられ、共に生きる存在をお与えくださる恵みを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。