それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。1テサロニケ3:7~8
ここには「あらゆる困難と苦難に直面」したことが記されていますが、それは例えば、2コリント11章には、「わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。」(2コリント11:8~9)と言われています。経済的な困難がありました。
ここには経済的な困難について言及されていますが、迫害を受けるということは、生活のあらゆる面にその影響を及ぼすものです。使徒18章には、「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」(使徒18:5~6)こちらは、精神的苦痛がありました。
さらには身体的な苦痛も経験したことが他の個所には記されています。迫害のために親や子供と別れ別れになったり、職を失ったり、その町に住むことが出来なくなるようなこともしばしばであったようです。
このために多くのクリスチャンたちが命を落としていきました。私たちが人間の常識で考えられることは、そのような迫害があれば、キリスト教はこれで消滅してしまうであろうと思われます。しかし、実際は迫害にもかかわらず、キリスト教会はどんどん拡大していったのです。神の言葉はその通りに実現されるのです。
祈り
天の父なる神様、人間の罪や様々な妨害にもかかわらず、あなたの救いの約束を実現してくださることを感謝いたします。主のみあとに従いゆくものとならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。