良くなりたいか。ヨハネによる福音書5章6節

ベテサダ(ベテスダ)といわれている池は、その水が動いたとき、最初にこの池に入ったものは癒されるという伝説があり、この池の周りには、大勢の病人、目の見えない人、耳が聞こえない人、手足の不自由な人などがたくさんいて、その病や障害が癒されることを願い求めていたようです。

  今日でも、重い病や障害を持つ方々がおられますが、そうした病や障害を癒すことは今日でも困難なことです。主イエスが来られた当時も、不治の病に冒されて苦しむ方々もたくさんおられたに違いありません。

  福音書を見ると、主イエスは、重い病の方や障害を持つ方などのところに出かけて行ったり、あらゆる病をいやされたことが記されています。病をいやすことが目的ではありませんが、憐み深い主イエスの姿がそこには表れています。人にはできないが神にはできるということ、そして主イエスは、神ご自身であられるお方であることを教えてくださいました。
  祈り
  天の父なる神様、「まぶねのなかに」という讃美歌には、「友無き者の友となりて心くだきし」と主イエスのことが歌われています。罪によってあなたに背き続けてきた者のために、ひとり子をもお与えくださったことを感謝いたします。あなたの深い愛を知ることができますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。